数万人に一人の病気 褐色細胞腫になったときの体験談

~通常なら数㎝の腫瘍は、なんと大人の頭サイズだった!~

手術当日

このブログでは、私が経験した「褐色細胞腫」という病気(腫瘍)のことを書いていますが、おそらく読者さんが一番興味あるのは手術のシーンでしょう。今回は、いよいよ迎えた手術当日の話です。

改めて、状況を簡単に記しておきます。

  • 私は35歳男。妻と娘がいる
  • 褐色細胞腫の大きさは18㎝。普通は数㎝
  • 開腹&開胸で摘出。デカすぎて腹腔鏡では無理
  • 大学病院で手術。前々日から入院

危険でリスクの高い手術 いよいよ決戦当日

ヴヴー ヴヴー

携帯電話のバイブで、私は目が覚めました。5時45分にセットしていたアラームです。昨晩はもう眠れなくていいやと開き直っていましたが、結局しっかり寝ていました。人間なんて、そんな勝手なもんです(笑)

本日の手術は8時45分から。すでに深夜0時から食べ物は禁止されています。そして、朝6時からは水分摂取も禁止。その前に、服用を指示された薬を飲まなければいけません。お茶のペットボトルを一本開け、薬を飲みます。お茶は残しておいても仕方ないので、そのまま600mlを飲み干しました。

特にやることもないので、また横になりましたが、何もせずジッとしていると不安が襲ってきます。先生からは「危険でリスクが高い」と予告されている手術です。今日が俺の命日になってしまうのか…。もう次の日の朝は来ないかもしれない…。自分にはもう明日がないかもしれない…

そんなことを考えてしまったら、身体にいいはずがありません。気分を盛り上げるために好きな音楽をガンガン聴いて、不安を寄せ付けないようにしました。しばらくすると、看護師が朝の体調チェックに来ます。

「おはようございます。眠れました?」
「6時間くらいは。意外に寝れました」

両親からはLINEで「いまそっちに向かってるよー」と連絡が入っていました。手術中に何かあった場合に備え、緊急連絡や同意を取るために院内で待機する人が必要で、その役目は両親に頼んでありました。隣の県に住んでいるため、今朝、現地入りします。院内待機の役目は妻でもよかったのですが、娘をずっと預けておかなければいけませんし、本人いわく「何かあったらパニくって対応できないかもしれないから」。

その妻からも、LINEで激励のメッセージが入っていました。娘の「しゅじゅつ、がんばってね」のボイスメッセージ付きです。闘う勇気が湧いてくるのを感じました。

手術前の準備 そしていよいよ出発

しばらくすると、看護師が手術着+弾性ストッキングを持ってきました。弾性ストッキングは、いわゆるエコノミー症候群を防止するための措置です。手術中および術後は、あまり身体を動かさないため、どうしても足の静脈に血栓ができやすくなります。その血栓が肺に飛んで血管に詰まると命にかかわるので、この弾性ストッキングを履いて予防するのです。

私はもちろん、弾性ストッキングなんて履くのは初めて。中に説明書が入っていたので、それを見ながら履いてみましたが…この履き方で大丈夫なのか? 普通のストッキングや靴下と大差ない気が…。特に足が締め付けられる感覚もないし。

「ストッキングって、この履き方でいいですか?」
「えーと…あぁバッチリです」
「足が締め付けられる感じとか、全然ないですけど…」
「大丈夫です。ジワジワ効いてくるものなので」

そういうものか。

8時15分、応援部隊の両親が病室に到着です。せっかく会ったのに、あまり会話は弾みませんでした。もう全員が緊張している感じがすごくて…(笑) もう少し簡単な手術なら、そんなことはなかったでしょうが、なにせ今回は「危険」「リスクは高い」と先生から言われていますから、緊張するのも無理はない。

8時35分、ついに「お迎え」が来ました。看護師に連れられて、手術室に出発です。頑張るぞという闘志と、正直逃げ出したい弱気がごちゃ混ぜのまま、私は歩き始めました。もちろん行ったことないけど、戦場に向かう兵士って、こんな気持ちなんだろうか…

特別なエレベーターで手術室のある階に移動し、廊下を歩きます。大きな自動ドアが見えてきました。手術室の一つ手前、オペ患者の待機室です。

「ご家族の方は、ここまでですので」

両親から激励の言葉を受け、待機室に入りました。さあ、いよいよ逃げ場が無くなった。

待機室の中は、ついたて(パーティション)で幾つかに仕切られていて、各スペースに椅子が置かれていました。そのうちの一つで待ちます。髪の毛が落ちないように紙のキャップを渡され、頭に被せます。

数分待っていると、看護師二人がやってきました。オペ室勤務の看護師だそうです。うち一人は私とやり取り。もう一人は、私をここまで連れてきてくれた看護師と引継ぎをしています。引継ぎが完了すると、

「私は戻りますので。頑張ってください。一般病棟で待ってますね」

ここまで私を連れてきてくれた看護師は、そう言って去っていきました。

手術室へ入る いろいろと意外だった

「それではオペ室に移動します」
「…はいっ」

気合いを入れるため、大きな声を出して立ち上がりました。オペ室看護師に連れられて自動ドアをくぐると、長い廊下があり、その左右に手術室がいくつもあります。中にはすでに「手術中」のランプが点いているところも。私は一番奥の手術室に通されました。

手術室に入っての感想は、「思ったよりも広い」。学校の教室くらいと勝手に想像していましたが、バスケットのハーフコートほどの広さはありそうな気が。壁には00:00:00と表示されたデジタルタイマーが二つ。「麻酔時間」と「手術時間」です。そして「現在時刻」を示すデジタル時計もあります。

部屋の中央に手術台があります。靴を脱いで仰向けに寝転がると、なんとモコモコした感触。エアー椅子ならぬエアーベッド(?)的な感じ。そして、とても温かい。手術台は冷たくて固いと思っていましたが、実際は真逆なんですね。

「それじゃ確認していきます。まずお名前と生年月日を教えてください」

これが自分の名前を名乗る最後の機会かもしれない。そんなことを考えながら答えました。

「今日はどのような手術をするかご存知ですか?」
「右の副腎のところの腫瘍を取り出すと」
「その通りですね。褐色細胞腫の摘出になります」

患者取り違い防止のために、こうしたわかりきったことでも確認します。確認が済むと、患者識別用のリストバンドがハサミで切られました。

まだ実際に手術が始まっていないからでしょう、スタッフ同士で談笑するなど、室内は和やかな雰囲気です。オペ室の空気って、もっとピリピリしたものと勝手に予想していましたが、それは始まってからの話っぽいですね。そしてみんなが同じ格好のため、誰がオペ室の看護師で、誰が麻酔科の先生で、誰が外科の先生なのか、全然わかりません。

全身麻酔の前にやることがたくさん

さて、私の手術部位は副腎といって、どちらかというと背中寄りの位置。そして副腎は左右にありますが、今回のターゲットは右。したがって、右脇腹を上に向けて手術します。仰向けではなく、横に寝て身体を少し「く」の字に折る体勢です。ただ、それは実際に「切る」ときの話で、まずは仰向け状態からスタート。

「麻酔科の○○です。それでは今から麻酔を始めますね」

麻酔科の先生の声はどっしりした重みがあって、いかにもベテランっぽい雰囲気を感じました。褐色細胞腫の手術のキモは、手術中の患者の状態管理。百戦錬磨の先生なのでしょう。

ここから麻酔が始まりますが、手順はすでに説明を受けていました。

  1. 左手首に局所麻酔をする。これはいわゆる「麻酔のための麻酔」
  2. その左手首に、手術中の血圧測定(注1)全身麻酔のためのカテーテルを入れる。これはダイレクトでやると痛いので、1で局所麻酔をしてからというわけ
  3. 背中に局所麻酔をする。これも麻酔のための麻酔
  4. その背中から硬膜外腔(注2)にアプローチして、手術部位の痛み軽減を目的とした硬膜外麻酔なるものを行う。やはりダイレクトだと痛いので、3の局所麻酔をしてから
  5. 全身麻酔で眠らせる

(注1) 観血的動脈圧測定という。腕に巻いて空気で膨らませる式の血圧測定と違い、常時測定ができる
(注2)
 背骨の中にある脊髄を覆う膜の外側部分

別の手順として、左手首へのセットアップ(1~2)をしてから全身麻酔(5)で眠らせ、それから硬膜外麻酔(3~4)でも良いらしいです。が、硬膜外麻酔(3~4)の効果をキチンと患者である私に確認したいということで、全身麻酔(5)で意識を失う前に硬膜外麻酔(3~4)を持ってきたそうです。

なお、麻酔とは違いますが、全身麻酔で眠った後、首から中心静脈カテーテルというのを刺し込みます。血圧や脈の管理のために薬剤投入をする必要があり、心臓に近い太い静脈を使うのです。細い静脈でこれをやると、血管自体がダメージを受けてしまうので、太い静脈を使うそうです。

いよいよ麻酔開始です。(1)左手首の局所麻酔から。採血や点滴で針を刺されるのと痛みは大差ないが、少し深くまで針が刺し込まれたかな、という印象。

続いて(2)左手首のセットアップ。痛みはさほど感じなかったものの、細いものが手首に入ってくる感覚はしっかり感じる。まあ全然我慢できるレベル。

次は(3)背中への局所麻酔です。(1~2)は仰向けでしたが、(3~4)は背中への処置ですので身体を横にしました。麻酔のための麻酔ですから、まあさほど痛くはない。

それから(4)硬膜外麻酔。細いものが背中から身体の中に深く入り込んでくる感じがして、いたたたたたっ。思わず顔をしかめました。

これだけの準備をしてから、ようやく(5)全身麻酔です。手術中の麻酔というと、クロロホルムを染み込ませたハンカチを口に押し当て、一撃で相手の意識を奪う的な大雑把なイメージしかありませんでしたが、そりゃまあ違いますよね(笑)

全身麻酔 そして手術が始まり…

「はい、それじゃあ全身麻酔いきますね。すぐ眠くなりますよ」

時計に視線を移すと9時35分でした。麻酔1~4の手順で40分ほどかかったことになります。それだけいろいろ確認しながら慎重に進めているわけです。医療ドラマとかだと、手術シーンはいきなり「メス」で始まったりしますが、実際はその前段階で時間をけっこう使っているんだなと思いました。

手首から何か液体が入ってくるのを感じます。全身麻酔はもちろん初めての経験ですが、100→80→60みたいに徐々に意識が薄れていくものなのか、それとも100→0のように一瞬で意識を失

ガヤガヤガヤ

(なんか騒がしいな)
「(私)さん聞こえますー? 手術終わりましたよー」

はやっ

意識を失うのも一瞬。
手術終わるのも一瞬。
全身麻酔すげぇ。

どう例えればいいものか。夜に寝て朝起きると、何時間か寝たなぁと「時間が経ったこと」を実感しますよね。しかし、この手術の時はそうではなく、まさしく「時間が飛んだ」ような感覚でした。

いや、もちろん手術自体は全然一瞬じゃなく、何時間もかかっていますが。重たい目を少しだけ開けると、時計は16時20分。先生からは事前に「順調にいけば16時過ぎには終わるかと」と聞かされていました。約7時間という予告通り、すごい。

「聞こえますー?」

手術中は、口内から喉にかけて呼吸確保のための挿管器具が入れられるため、手術後は一種の「喉が潰れた状態」になると事前に説明ビデオで知っていました。実際その通りで、声が出ない。私はコクコクと頷いて応えました。

「それじゃICUに行きますね」

ガラガラガラ。ベッドが移動します。朦朧とする意識の中で、ようやく私は「ああそっか。俺、死んでないんだ」と実感していました。また妻と娘に会える。みんなに会える。よかったと考えていました。

何時ごろだったかはわかりませんが、両親が術後の面会に来ました。まだ目が重くて開けられませんでしたが、母が「よく頑張ったねぇ…」と泣く声が聞こえました。いやいや、俺は寝てただけだし。頑張ってくれたのは先生や看護師のみなさん…と言いたかったのですが、まだ喉が潰れた感じで声が出ない。手は動くので、右手の親指をグッと立てときました。

手術後ということで、眠くなる薬が導入されており、私はまた眠りに落ちました。

手術当日の様子は、ここまでです。

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