数万人に一人の病気 褐色細胞腫になったときの体験談

~通常なら数㎝の腫瘍は、なんと大人の頭サイズだった!~

【手術翌日】経過良好 ICUから一般病棟にお引っ越し

前回までのあらすじ
褐色細胞腫の切除が無事に終わり、翌日は朝からICUで過ごす。傷はそこまで痛くなく、手術翌日なのに昼食(普通食)もペロリとたいらげるなど、経過は順調。

手術から24時間経たずにICUから撤退

ICUで昼食という荒業をかましてから少し経ち、14時くらいに看護師がやってきました。

「(私)さん。血圧も順調に上がっていて問題ないので、一般病棟に戻ります」

医師1人・看護師3人の合計4人で、ベッドからストレッチャーに移されます。手伝ってもらいながらお尻を持ち上げ、ズリズリと身体を動かしてストレッチャーに移乗。これだけの動きでもなかなかしんどい。

「それではお大事にー」

ICUの看護師に見送られ、ストレッチャーはガラガラと動き始めました。手術が終わってICUに入ったのが、前日の16時過ぎ。そして24時間経過しないうちに撤退。さようならICU

経過は順調とはいえ、まだ身体をほとんど動かせない状態。周りを見回せず、ICUという施設がよくわからないままでしたが、ストレッチャーで動いたので、ここで初めてICUの全体像がわかりました。

中心にナースステーションがあって、その周りを取り囲むように患者の部屋があります。ナースステーションと患者部屋の間には、視界を遮るような壁はなくオープンな状態。各患者の様子が見やすいようになっていました。部屋の数もけっこう多いようです。25→24→23…という数字が見えたので、最低でもそれだけは部屋があるということです。

お腹を開いたら他の臓器がいろいろ大変だったらしい

一般病棟までの道中、迎えに来た先生がいろいろ話してくれました。

「取り出した腫瘍の標本って、ご覧になりました?」
「いや、まだです」

うわぁ、標本になるのか。ホルマリン漬け的な?

「S先生から、大きさがどうだったとか聞いてます?」
「ダチョウの卵くらいって聞きましたけど」
「ダチョウの卵ねぇ…。それよりもう少し大きいかな。子どもの頭くらいっていう意味の小児頭大(しょうにとうだい)って言葉があるんですけど、(私)さんの腫瘍は大人の頭くらいありました」

改めて問いたい。俺の褐色細胞腫、テメェはどうやってお腹に収まってたんだ?

「もう肝臓は上に押しやられてひしゃげてるし、腎臓も下の方向にすごい圧迫されてたし。ホント今までよく無事でしたよ」

手術前に聞かされていたら士気が萎えるようなグロい情報ですが、「マジですか」と笑えたのは、手術が無事に終わったからです。

そんな話をしているうちに、一般病棟に到着しました。手術前に「病棟で待ってますね」と言ってくれた看護師を思い出しました。帰ってきましたよー。

一般病棟への帰還 ナースステーション目の前の個室に入る

戻ってきた一般病棟は、手術前に入っていたのと同じ内分泌科のフロア。ただし、手術前に入っていた大部屋ではなく、ナースステーションすぐ前の個室でした。手術直後の要注意患者なので、看護師の目が届きやすい部屋にするのでしょう。

ストレッチャーからベッドに移されると、まずは先生が私の傷をチェック。

「ちょっと見せてください。…うん、いいですね。開胸もしなくて済んだし、よかったですね」
「えっ!? 開胸してないんですか」

術前の説明では、私の腫瘍は超巨大なため、視野の確保のために開胸も必要になると言われていましたが、開胸してないの?

「開いてみたら腫瘍が思ったより下にあったので、開胸なしで済んだんですよ」

そうだったのか。言われて初めて気づきましたが、確かに胸のあたりは全然痛くない。開胸なしは私にとって有利な要素なので、いちいち説明しなかったのでしょう。

部屋内には、私が入院時に持ち込んだ荷物がすでに運び込まれていました。まだ身体が自由に動かせないので、看護師がセッティングしてくれます。スマホを取り出してもらい、充電器は枕元のコンセントにセットしてもらう。テレビの位置を決め、リモコンを手元に持ってきてもらう。お茶のペットボトルを箱買いして持ち込んであったので、それを何本か手の届くところに置いてもらう。

身体は辛くないが熱が39℃まで上がる

「それじゃ、何かあったら遠慮なく呼んでください」

看護師は去っていきました。入口のドアは開けたままで、ナースステーションと私のベッドはお互い直接見える形。何かあった時にすぐ気付いてもらえるので安心です。

さて、今からやること。関係各所への連絡です。会社には、手術終了後に連絡するよう妻に頼んでありましたが、友人関係への連絡まではさすがに頼めません。スマホの電源を入れます。

実は事前に、仲の良い友人数人には「けっこう危険な手術を受ける」と連絡してありました。万一の時にいきなり「私が死んだ」と知らされたら「はぁ?」となるでしょうから。ですので、「手術無事に終わって生きてます」と簡潔な内容だけで済みました。

まだみんな仕事をしている時間帯なので、すぐに返事は来ないでしょう。あとは特にやることもなく、寝っ転がってボーっとしていました。夕方近くなり、ボチボチ友人から返信が入り始めたので、それに対応します。

18時、夕食の時間です。昼食の時も、身体が起こせないため食べるのが大変でしたが、夕食でも苦労は続きます。半分仰向けの姿勢でままで非常に食べにくい。食欲自体はあるのですが、完食まで50分くらいかかりました。

下膳に来た看護師が、歯ブラシと水の入ったコップ、洗面器を用意してくれました。身体をじゅうぶんに起こせない姿勢だと、最後、口をゆすいで洗面器にペッとするところが大変です。

こんな感じで、食事や歯磨きは大変なものの、至って順調な術後です。痛み止めがしっかり効いているおかげか、傷の痛みも筋肉痛くらいにしか感じません。手元には、痛くて我慢できない時のために痛み止めを追加投与するボタンがありましたが、一度も使わず。手術翌日は痛みでもっとウンウン唸されると思っていたので、嬉しい誤算です。

ところが、その後ひとつ異変が。21時過ぎ、看護師が夜の巡回に来て検温したところ、なんと39℃!

ただし、身体が熱いとか、頭がクラクラして辛いとか、そういう感覚は一切なかったです。自分としては至って平常なつもりだったので、「えっ、今これで39℃あるの?」とビックリしました。

「手術後に熱が上がるのは自然な反応なので、心配しなくていいですよ。氷枕持ってきますね」

氷枕なんて何年ぶりだろう。小学生の時以来では? 心地よい冷たさに包まれ、手術翌日の夜は更けていきました。

→次の話 【手術翌々日】早くも自力歩行開始 痛み止めもストップ