数万人に一人の病気 褐色細胞腫になったときの体験談

~通常なら数㎝の腫瘍は、なんと大人の頭サイズだった!~

【手術3~4日後】特にイベントなし そしてブログ執筆を思いつく

前回までのあらすじ
手術翌日~翌々日。ICUから一般病棟に移り、自力歩行を開始。痛み止めの投与も終了したため、少し痛みに苦しんだが、全体的に順調な回復。

セレコキシブという薬の服用を開始

手術から3日。痛み止めの投与は終わりましたが、痛みへの対処が完全にノーガードになったかというと、そうではなくて、セレコキシブという錠剤を朝夕に飲み始めました。炎症を抑えて痛みを鎮める薬です。

また、定期的な服用のセレコキシブに加えて、痛みが激しくなった時用の頓服も貰いました。一回飲んだら、6時間は開けるように言われました。

痛みは普通に我慢できるレベルではありますが、耐える意味や必要性がないので遠慮なく使用。セレコキシブが朝夕なので、頓服は昼に飲むパターンが多かったです。

自力歩行を始めて早々に回復を実感

自力歩行を命じられた当初は、ベッドから上半身を起こすたびに一苦労でした。「あ痛ててててっ、あぁーしんどい…」という感じで。しかし、自力歩行2日目で早くもだいぶ楽になりました。身体を起こしても、「おー痛てぇ」くらいで済むように。

また、初日は点滴スタンドに身体を預けるようにしてノロノロ歩いていましたが、次の日には自分の足で体重を支えて歩ける感じになりました。スピードも明らかにアップ。歩き始めると、あっという間に回復していくんだなあと実感。少しでも歩かねばと思い、トイレに行くたびに遠回りして帰ってきました。

手術4日後 不要になった背中と首のカテーテルを抜く

手術後は、身体にいろいろなカテーテルや管が差されたままになっています。不要になったものから抜いていきますが、これまでに抜いたのは、鼻から胃に入れられていたものと、膀胱に入れられていた排尿用の2本。

この時点で、残りあと4本です。背中、首、腕、そして傷口部分のドレーン。手術から4日が経ち、この日は背中と首のカテーテルを抜きます。

背中のカテーテルは、先日まで痛み止め投与に使われていましたが、痛み止めは終了したので不要になりました。痛み止め投与に使われていたものだから、身体のけっこう奥深くまで差し込まれているのではないか。それを抜くのだから、男の急所から引っこ抜いた時のように超痛いのではないか。ドキドキしていましたが…

「じゃあ抜きますねー。はいオッケーです」

えっ、いつ抜いた? 痛みどころか、抜かれた感覚すら何もありませんでした。首の方も同様で、痛みの「い」の字すらなし。よかったです。

Q.ヒマ潰しの方法はない? A.ブログを書けばいいじゃん

術後3~4日あたりになると、ヒマや退屈との戦いになります。特にイベントがなく、一日中病室にいるだけ。手術直後は、退屈な時間をどう潰すかなんて贅沢な悩みとは無縁ですが、手術から3~4日経って状況が一段落すると、そういう事態に直面します。

スマホいじりも、ずっとやっていると通信データを喰い過ぎるので限りがあります。B大学病院はWi-Fiないし。

術後初めてコンビニに出掛けて、本を買ってきましたが、帰りの荷物になるので、あまり買い込むわけにもいきません。すぐ読み終えてしまいました。

何か他にヒマ潰しの良い方法はないのか。その時、ふと思いつきました。

ブログでも書けばいいのではないか。数万人に一人の病気という珍しい体験をしたのだから、情報発信する価値があるのでは。

残念ながら、これからも褐色細胞腫という病気で苦しむ人は出てきます。そんな人にとって、先人(?)の体験記というナマの情報があればありがたいはず。実際私も「褐色細胞腫 ブログ」で検索して、他の方の闘病記をいくつか読ませていただきましたし。今度は私が情報提供する側になれれば…

今回の入院の際、パソコンを持ち込んでありました。もう自力歩行可能まで回復しているので、パソコン作業くらい楽勝です。書く時間はたっぷりあります。

こうして、このブログが誕生することになりました。

→次の話 【手術5日後】個室から大部屋に引っ越し 退院も間近…と思いきや?