数万人に一人の病気 褐色細胞腫になったときの体験談

~通常なら数㎝の腫瘍は、なんと大人の頭サイズだった!~

さようならA病院 こんにちはB大学病院

前回までのあらすじ
A病院での詳しい検査の結果、褐色細胞腫と判明した私。A病院では手術できないため、B大学病院への転院が決定。直行での転院ではないため、いったんA病院を退院して我が家へ戻ることになった。

ついにA病院を退院

先生から病状の説明を受けて、私は病室に戻りました。しばらくすると、退院手続き担当という看護師がやって来て、

「B大学病院の予約が取れました。これで退院です」

と告げられました。なるべく早い受診を希望していましたが、あさって午前中に予約が取れたそうです。B大学病院宛ての紹介状と、検査データや画像が入ったCD-ROM、その他各種書類を受け取ります。

「請求書は後日郵送されるので、本日の支払いはありません。荷物をまとめたら、ナースステーションに来てください」

荷物はさほどありません。本や下着くらいなので、すぐまとまりました。病院着ともお別れ。先ほど妻が病院に来た時に、退院時に着る服を持ってきてくれたので、それに着替えます。

荷物を持ってナースステーションに行くと、入院患者が手首に装着するリストバンドを切ってもらえました。このリストバンドには氏名やバーコードが印刷されていて、たとえば採血する時にピッ。検査する時も入口の受付でピッ。これで患者管理を効率化し、取り違えなどのミスも防いでいるわけですね。

入院の10日間巻きっぱなしだったリストバンドが、はさみでパチンと切られました。これで解放だ、やっと退院できると実感しました。

10日ぶりの我が家へ!

先生の説明を受けたあと、妻はいったん帰宅したので、連絡して再び来てもらいました。車に乗って我が家へ。

妻の実家に預けていた娘と10日ぶりの再会! 久々に娘を抱っこ。なんだか少し大きくなった気がします。

みんなで一緒に昼食のラーメンを食べます。病院での食事は、病室のベッドの上という一人の空間で、誰とも話すことなく黙々と「摂る」だけでした。妻と娘と一緒に食べて、食事とは「楽しむ」ものだと思い出しました。

退院できたとはいえ、まだ私が本調子ではないだろうということで、午後からは休ませてくれました。実際、身体が疲れていたようで、ぐっすり昼寝してしまいました。

夕食のメニューは、妻の手作り唐揚げ。カリカリジューシーに揚がっていて美味い。さ、酒が進むぅ~。「飲んで大丈夫なの?」と思うでしょうが、退院時に貰った「退院後の生活についての指示書」には、食事に関する制限・指示は何も書かれていなかったので問題ないでしょう。ダメなら記載があるはずですし。

病気自体は何も解決していませんが、とりあえず退院できたということで、ちょっとしたお祝い気分の一夜でした。

退院翌々日 B大学病院の外来受診へ

A病院を退院した翌々日。B大学病院の受診日です。紹介状と検査データの入ったCD-ROMを忘れないように持参します。

9時半の予約。初めての病院で勝手がわからないので、早めに着くようにしました。駐車場入口には、ちょっとした車の列が。さすが大学病院です。

ところで前日、妻からこんなことを言われました。

「明日さぁ、病院行く時に入院の荷物持ってったら? また入院させられるかもよ」

また入院? それはないと思う。必要な検査は済んで病名も確定してるし、改めて入院させて何をしようってんだ。

「ないでしょ。もう検査終わって病気が確定してるし。それに入院が必要なくらい身体がヤバかったら、退院させずに直接転院させたはずだから」
「そうかなぁ~また入院になる気がするけどなぁ。いちおう入院の準備してけば?」

さすがにないだろ…と思いましたが、車で行くので、荷物を持っていくのも特に手間ではありません。妻の顔を立てて(?)、入院の準備をしておきました。

診察の結果 まさかの再入院

大学病院というと、昭和的な(?)古めかしい建物を想像していましたが、そんなことは全然なかったです。今風の綺麗な建物。さらに、どこに行けばいいのか分からないとか、手続きのやり方が分からないとか、そういうこともない。親切設計です。

初診受付で紹介状とCD-ROMを渡します。CD-ROMのデータが吸い出され、受診の準備が整いました。大学病院というと、待ち時間がものすごく長そうなイメージがありますが、外待合で20分ほど待っただけでした。

事前にA病院から話が来ていたはずですが、生の検査データを見て、先生はかなり驚いたようです。褐色細胞腫というだけでも珍しいのに、普通は5~6㎝の褐色細胞腫が十数㎝なのですから。

褐色細胞腫について改めて説明を受けた後、先生がおもむろに口を開きました。

「これはちょっと入院してもらった方がよさそうですね」

ちょっ、ええぇマジすか!?

A病院から貰った検査データだけではなく、当院でも検査をしたいこと。一度カテコラミンによる発作が起きており、また同様の事態になると危ないので念のため。そんな感じの理由ですね。かくして私は、A病院退院の48時間後に、B大学病院に入院することになったのであった…

妻「ほらぁ~、私の言う通りだったじゃん。準備してきてよかったね」ドヤッ

返す言葉がない。

コロナの抗原検査(PCR検査ではなかった)を受け、病院着に着替えてしばらく待ちます。コロナ陰性が確認されたのち、手首には再びリストバンドが巻かれ、車椅子で外来病棟から入院病棟に連行(歩けるのに…笑)。

こうして私は、また入院患者になりました。入院の手続きはすべて妻が済ませてくれ、車に積んであった入院の荷物もナースステーションに届けてくれました。

手術はいつになるのだろうか? 次にここを出る時には、褐色細胞腫は私の身体から消えているのだろうか? そんな疑問とともに始まった、新たな入院生活です。

→次の話 B大学病院での入院生活 一日の流れを紹介